2-2.日本の精神科医療の歴史

精神疾患は決して現代の疾患ではありません。江戸時代までは、精神障害者の支援は寺社の支援事業として行われてきました。我が国では、初の公立精神科病院として、明治8年に京都南禅寺の境内に京都癲狂院が設立されました。
明治時代のはじめには、精神障害者に関する法的制度はなく、もっぱら各地方の裁量にゆだねられていました。相馬事件などをきっかけに明治33年、精神障害者の保護に関する最初の一般的法律「精神病者監護法」が制定されました。この法律の制定により、我が国で初めて精神障害者の処遇が法的に一律に規定されたのです。精神障害に対しては、有効な治療法がほとんどなかった時代です。この法律では精神障害者を抱える家庭において、自宅の一室や物置小屋の一角に専用の部屋をつくり、精神障害者を監置し、それを行政(内務省-警察)が管理するという、諸外国には例のない私宅監置の制度が認められていました。私宅監置では、医療も不十分なまま、非衛生的な環境に放置されていることも多かったのです。その悲惨な状況を、呉秀三先生(東京帝国大学医科大学 精神病学講座教授)は、『精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察』(1918年)の中で、「わが国十何万の精神病者はこの病を受けたるの不幸のほかに、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」と述べています。
座敷牢
(南山堂 「精神医学入門」より)

明治42年の精神障害者の調査では、精神障害者数2万5千人、病床2千5百床、私宅監置約3千人という実態が示され、収容施設の整備拡充の必要性が明らかになりました。
大正8年には、精神病院法が制定されました。この法律では内務大臣は道府県に精神病院の設置を命じることができるとされ、精神障害に対する公共の責任として公的精神病院を設置することとされました。しかし、その建設は予算不足のために遅々として進まなかったのです。昭和6年の調査では、精神障害者数7万余人に対し、病院入院患者数1万5千人で、人口あたりの病床数は諸外国の10分の1と少なく、さらに90カ所の精神科病院のうち、公立病院はわずかに6カ所のみでした。病床数は昭和15年には約2万5千床に増えましたが、第2次世界大戦の戦火で病院の消失、閉鎖が相次ぎ、終戦時には約4千床まで減少しました。
昭和25年には精神衛生法が制定されました。このなかで、精神科病院の設置を都道府県に義務づけ、長期拘束を要する精神障害者は精神科病院に収容することとし、私宅監置制度はその後1年間で廃止されることとされました。
昭和28年には精神科病床は約3万床となり、ようやく戦前程度まで回復しました。昭和29年7月の全国精神障害者実態調査で、精神障害者の全国推定数130万人、うち要入院35万人であることが判明しました。多くの精神障害者が私宅監置されていることが明らかになったのです。医療金融公庫からの低利融資とスタッフの配置基準を大幅に緩和した精神科特例によって、民間の精神科病床は急速に増加、いわゆる精神科病院ブームとなりました。病床数は、5年後の昭和35年には約8万5千床となりました。
昭和39年、戦後から現在に至る我が国の精神障害者施策に大きい影響を及ぼす事件がおこりました。いわゆるライシャワー駐日大使刺傷事件です。精神疾患を患う方が、その疾患故に在日米国大使を刃物で刺してしまいました。当時の新聞では「精神障害者を野放しにしている」と行政施策を強く批判する記事が掲載されました。これを契機に、厚生省は精神衛生法を改正し、精神科病床の整備・入院医療を中心とした施策化に大きく舵を切りました。このため、昭和40年には民間設立の病院を中心に精神科病床は17万床に増加したのです。
ライシャワー事件で精神科増床へ

昭和43年、日本の精神科病床数の増加を止められたかもしれない出来事がありました。この年、日本政府からの依頼でWHOからクラーク博士が派遣され、日本の精神科医療の実態を調査したのです。その後、博士は調査に基づいた勧告書を提出し、精神科病院の長期入院患者が増加していることを指摘し、入院患者の増加を防ぐために地域福祉の充実とリハビリテーションを奨励すべきこと、精神科病院の改善や統制の必要性を指摘しました。
既に世界では、少なくない先進諸国で精神障害者の脱施設化政策が実行に移されていました。日本でも、もしクラーク勧告を受け入れて政策を変更していれば、病床数の削減もそれほど必要のない、痛みを伴わない精神障害者の脱施設化政策が可能だったものと考えられます。しかし、当時の厚生省の課長がクラーク勧告に関する記者会見で「斜陽の英国から学ぶものは何もない」などと話すなど、この勧告は全く無視されてしまいました。これには、前述のとおりライシャワー事件の影響もあったようです。

クラーク勧告を無視した日本の精神科病床は民間病院を中心に増加を続け、昭和50年には28万床、平成4年に約36万2千床とピークに達し、現在は少し減少して34万8千床となっています。日本の精神科病床の特徴のひとつとして、民間病院の割合が約9割と高いことが指摘されています。

更新:2013/2/2

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